Zwart-wit foto gebruikt voor de Rode Kruispostzegels Nederland 1992
Pierre Bernard
(weissesrauschenから)
(出典: weissesrauschen)
(lapresquileから)
解毒
深い想いで君を助けることが出きるならば、僕はこの頭の中に渦巻く原色の言葉全てを投げ出していいと思っています。
「潮の流れが変わると、カモメは西に飛ぶんだ。不思議だよね。何処に行ったってさ、仲間は居ないし、海は変わらずそこにある。それでもカモメは西に飛ぶ。DNA、遺伝子、過去の記憶、すりこまれた知恵、きっと彼らにしか分からない意味があるんだ」
「意味はないよ」
「きっとあるよ」
「目で見えていれば確実なのか?触れられれば確実なのか?声を聴けば確実なのか?記憶は確実なのか?」
「ガラスの陶器が割れる音が好き」
「僕はシベリアで生まれたから、寒さに強いんだ。人より体温が常に高くてね。だから暖めてあげる」
「全く趣味の悪い映画だ…」
「あいつは隣の部屋の咳払いすら気にするような神経質な野郎だぜ」
「あの子は耳が聴こえないのよ」
「このスカート、ちょっと短すぎかしら」
「君が泣くとき、僕は笑い、君が笑うとき、僕は泣く。いらだちは快楽に、無数の傷はキメ細かな肌に、理不尽な怒りは契約書に、埃を被ったミニカーは艶やかな口紅に、曇りの日はホワイトホースを飲み、晴れたらセックスをしよう」
「これが夢なら覚めないよう祈るし、現実ならこの瞬間の為だけに僕は生き続ける」
「お願い」
「?」
「手を繋いで」
「同じ言葉を同じタイミングで言っても、同じようには伝わらないでしょう?だからわたしは求めてるの」
「何をさ?」
「完璧な組み合わせ」
「大事なことはダイスを振って決める。それが僕のルール」
「お前の野蛮なその顔」
「大きな大きなスーパーマーケットに一人取り残される夢」
「森で小さな女の子を見たんだ」
「痛みを吸い取る?バカバカしいな、そんなボランティアに何の意味があるんだ」
「髪の長さは大体このくらい(肩に手を合わせる)」
「僕の汚れた命を、君にあげる」
「いらない」
「安っぽいセンチメンタルに浸るのはよそうよ」
「わたし、飼うならでっかい犬がいいなあ」
「盗人は出ていけ」
「種を蒔く。ここに種を蒔いて、花をつけたらまた君に会いにくるよ」
「お願い忘れないでお願い」
「誰がナイフを買ったかはっきりさせようじゃあないか」
「どうして触れなかった?」
「絵の具を買おうと思って隣町の店まで電車に乗って行ったら潰れててね。しょうがないから散歩をしたあと、クリームソーダを飲んで帰ったんだ」
「君が作るコーヒーは苦すぎるんだよ」
「わたしにステップを教えて」
「小さい頃大好きだったブリキの兵隊のおもちゃを実家の押し入れから見付けたんだもうなくしたと思っていたのに凄く嬉しいよ凄く嬉しい」
「どこで間違ったのかしら、何も分からないのよ、わたしはもう何処へも行けないのよ」
「天気予報、明日雨だってさ。てるてる坊主でも作るかい?」
「それはガーベラ」
「わたしやっぱり何処かで期待してるんだと思う」
「お客さん、乗るの?乗らないの?」
「(頭をかきむしる)」
「片目片手片足で立つと世界が半分になる。凄く心細くなる」
「グリーン、ブルー、オレンジ」
「誰かになりたいと思ったことはあるかしら?」
「汚い血を流してる」
「おばあちゃん、おばあちゃん、おばあちゃん、ねえ起きて」
「スーパーでね、イチゴが安かったからつい買ってきちゃった」
「育てよう、僕たちで育てよう、決して意味を生まなくても」
「きみを守りたい」
「あなたを愛したい」
「きみを守る」
「あなたを愛す」
「きみを守りたかった」
「あなたを愛したかった」
眠る君の頬に指を重ねる。冷えた感覚が指先から僕の喉までかけあがる。もう苦しむことはない。もう泣くことはない。もう怖いひとはいない。
あらゆる痛みに苛まれても、どうしても吹き出ることのない膿がたまたまそこから生まれ出たのだとしたら……。通念としての心がある限り、それをどうにかすることなど出来はしないと僕は思うのです。これを、悪事を正当化するための詭弁と謗るなら、あなたもまた経験に打ち勝つことは出来ないでしょう。
まともなものを身の回りに維持することがどれだけ大変かって事実にここ何日か囚われてる。十年前も六年前も、恐らく同じような理由で俺はある種の脱落というものを経験したのだけど、その要因の部分は全く同じで、些細な外因と自分自身のバランスが上手く取れなかったってだけの話。ほんの数週間前までその事実を何ひとつ思い出すことなく、一切触れることなく生活していたんだけど、昨日今日で完全にフラッシュバックした。誰しも、自分の思想や感想を何も慮ることなくすべて言うことはないのだろうけど、普通に対人関係を築けば、そのうちの五割くらいを吐露する機会があるはずだ。しかしながら病的にそれを嫌う人間っていうのはいて、そいつらは文字通り病気で、俺もそれに属している、恐らく、いやかなりの確率で。人間の対話って究極のエコロジー、後ろめたさなんて微塵もないもの、そう思っている。そこで交わされるいくつかの冗談ですら、エコを摩擦なく推進するための手段みたいなものだろう。しかしながら、そういう完成されたロジックはもう自分にとって恐怖の対象でしかない。数多の判断基準の収束点がそこに見えたら最後、上手く息をするためだけに対話を行使するようになってしまう。
そうして僕らは最後通告というやつに、すがりついて泣きわめく。明日か明後日死ぬさ、気が向いたら。人生の総和を駆使してでも、そういう生き方しか見えないのなら、せめて笑って欲しいと思うだろ、だって人間なんだろ。享受して、譲渡して、慈しみ、育み、愛し、守り、許し、そして救う。享受して、譲渡して、慈しみ、育み、愛し、守り、許し、そして救う。たとえそれが、救いようのないクズの痛みのなかで繰り返されようとも。
(出典: blog.livedoor.jp)



